2008年 06月 06日
久々のViggoさま関連記事* |
映画雑誌『Premiere』でどぅわいすき
Viggo主演の映画『The Road』の特集を組んでいました。・・・Viggo友さん、情報をありがとうございますっ!
ってこの『Premiere』は5月号
・・・なんかばたばたしてて遅くなりまして申し訳ありません・・・
6月25日にViggoさまの『Alatriste』がやっと公開という情報をいただきまして、憧れのかぴたん姿
をこの目で見られることにうきうき
しながら『Premiere』の記事をcinephileなりに解読してみました

Viggoさま語録というよりは 映画『The Road』の撮影苦労話が多い印象です。Viggoさまがこの映画に出演を決めたときのエピソードに 役者魂をひしっと感じまして惚れ直しました~!
ワタクシもViggoの大ファンとして精進してまいりますっ。
しかし この映画 くらくらするラブシーンも美尻シーンも内股長い脚の披露もなさそうだぁ~・・・
↑ 何 期待してるんだか???
すみません つぶやかせていただきました。無視してください。
(注)ぎこちない和訳に国語力のなさが垣間見られますがどうぞお許しください
La Route Again(The Road)
Viggo Mortensenは Cornac McCarthy原作の小説を元にオーストラリア人John Hillcoat監督が映画化した『The Road』で演じるにふさわしく疲れた状態だった。
“映画が小説を超えるとは言わないけれど、おそらく映画のほうがより真実味を帯びて衝撃的かもしれない”(Viggo Mortensen)
悲しい一日、快晴。 リラックスしているJohn Hillcoatはこの運の悪さを茶目っ気たっぷりに皮肉ってみる。映画『The Road』の撮影にとって、彼にとって この春のまばゆいばかりの太陽は脅威なのである。というのも撮影はこの日とは正反対の悪い気候に向かっているわけだから。
Cormac McCarthyの原作を映画化した話は、悲惨きわまる世界における父と息子の長い旅を描いている。気候が悪化することを懸念して小説に出てくる、単に『男』と『少年』と呼ばれるものたちは 生き延びていくためにより気温の高い海に向かって歩き続ける。彼らが冬を逃れているというのに、John Hillcoartは春から逃れようとしているというのだ。
アメリカとカナダとヨーロッパで育った映画監督John Hillcoatは祖国オーストラリアで映画のミュージッククリップを撮影することから始めた。特に長いこと交流のあったNick Caveのクリップだ。1990年政策の“Ghosts of the Civil Dead”は今までに類を見なかった牢獄映画の評判を維持している。1996年製作Tcheky Karyo主演の“To Have and to Hold”の後、2005年にGuy Pearce,Ray Winstone,John Hurt,Emily Watson共演の映画“The Proposition"でカムバックした。この映画は賞をとったものの、フランスでは未公開のままだ。
『The Road』は彼の初のアメリカ映画となる。彼はオリジナル小説の作家Cormac McCarthyの評判のおかげで この作家の作品にはBilly Bob Thornton監督の“All the Pretty Horses ”とコーエン兄弟の“No Country for Old Man”がある。Hillcoartはかなり前からこの作家のファンであり、“The Proposition"は 小説“Blood Meridian "(1985)の影響を受けている。 アメリカで2006年に『The Road』の出版のすぐ前にHillcoatは原稿を読んで感動した。「わたしは McCarthyのもつ極端な世界が大好きなんだ。環境と景色が大切な出演者になっているんだよ。『The Road』はもっと感動的で奥が深いのだが」。シナリオライターのJoe Penhallがスクリプトを執筆中にHillcoartは資金集めに走り、プロジェクトはかなり早くにスタートすることになった。
荒廃した風景
原作でも火の嵐をともなう目がつぶれるような光の記憶について描写した数行以外、惨事の原因についてはほとんど触れていない。監督も核戦争・産業事故、自然災害などの想像の余地を残しながら背景に関しての一切の説明は省いた。エネルギー源も植物も動物もほとんどいない。生き残った人たちは、まだ荒らされていない残りの部分を食べて生き延びている。
映画については舞台装置が大きな要素を占めている。John Hillcoatはできるだけ現実にちかい風景を使うことに徹した。舞台装置担当のChris Kennedyはもう使われていない道路や廃墟の家、枯れた植物のある荒廃した風景が広がるところを求めてペンシルバニア、オハイオ、ルイジアナを走りぬけ、ワシントン州、オレゴンにも訪れた。「生命の形跡を取り除いてしまうと かなり単色彩の世界に到達するんだよ。プラスチック素材を除いてはね」と監督は説明する。「しかし灰と残骸で汚染された有毒な世界なんだ。僕たちは この世界に叙情的な部分を持たせながらできるだけ生々しい状態にしたかったんだ。」と付け加えた。
我々が撮影したゾーンはピッツバーグの郊外だった。産業化が廃れてしまったことによる被害者であるそこの住民の多くは1980年代にこの町を捨てて出て行き、3分の2の家が空っぽの状態なんだ。我々は男(ViggoMortensen)がかつての彼の家を見つけるシーンをここで撮影することになった。今朝のシーンは 少年(Kodi SmitMcPhee)が彼と同じ年ぐらいの少年を見たと思い込んで 父親が夢を見たに違いないと引き止めるのも聞かずに追いかけるシーンだ。舞台装置はあるがままのものが使われた。新しい撮影のたびに人工の灰がトラックによって散布された。撮影のはじめ、3月は寒さと雨と雪が降って映画には好都合だった。28日目(50日の撮影で)になって春がやってきて面倒なことになった。俳優陣は寒い演技をしなければならなかった。撮影後には白い息を口から出しているように蒸気を付け加えなければならないだろう。俳優たちはおびただしい数の重ね着にかろうじて耐えていた。最悪なことに木々には若葉が芽生え始めていた。
映像に効果のあるものは音にも同じような効果をもたらす。鳥のさえずりは列車の音や警察のサイレンと同様 生命のない廃墟においては邪魔だった。Sean Pennの“Into the wild"で同じような困難を経験した音響担当者が特別なマイクを使って切り抜けた。Hillcoatは“苦しむ地の唸り”と称した風を加えた。
音楽に関しては、ミニマリストである。「おそらく無調の雰囲気となるだろう。メロディーのあるパーツは極めて少なく対位法的に使われるだろう。」と監督は、明言する。"The Proposition”の音楽を担当したNick CaveとWarren Ellisが現在担当中である。映像ディレクターのJavier Aguirresarobe(Alejandre Amenabarの「The others」と「Mar adentro」を担当している)は少年がもう一人の子供を建物の窓越しに見かけるシーンを調整している。太陽光線がまぶしい道にあるKodiの影が問題になっているようで10メートルほど光の届かないところに場所を移すことになった。Hillcoatは取り直し撮影する時間がないことを後悔している。

猶予期間のヒーロー
浮浪者が撮影チームのほうに向かって歩いてくる。彼のぼろ着はもう半年も着たままのような雰囲気である。彼はこの地区にいる住民とは似ても似つかない。撮影準備のできたViggo Mortensenである。衣装は付属品だが髭と髪の毛は本物だ。やせた姿さえも。この役を引き受ける前に 彼は2年のノンストップの仕事を終えたばかりで休息するつもりだった。写真の展覧会をすることを予定していたが、Hillcoatが『The Road』のシナリオを彼に読ませることに成功したとき、彼はこの仕事を断れないと悟った。そして「僕は役柄にぴったり当てはまるぐらい肉体的にも精神的にも疲れているんだ」と考えた。 あとは髭を伸ばすぐらいだった。求められている精神状態に近づくためにViggoは詩を読んだり音楽を聴いたりまたは憐憫について書いたショーペンハウアーのような作家の本を読んだ。彼はさまざまな浮浪者と話す機会を持った。「穏やかな人、攻撃的な人、混乱している人がいたが みんな前に進み続けることを考えていることが共通点だった」と語る。
Viggoは原作も好きだが彼の視覚的言葉を持って映画が一歩踏み込んだところに行くのではないかと考えている。「僕は映画が本を超えるとは言わないけれど、おそらく映画のほうがより真実味を帯びて衝撃的かもしれない。そこには窮迫された人物と心の動揺しかないだろう。映像はすばらしいものだが見るのはつらいものがある。」
彼がこの役柄を引き受けるにいたった理由のひとつには憐憫の概念がある。「きわめて困難な状況においても人は憐憫の気持ちを持つことができる。しかしながらストレスのあるときには完全に忘れてしまうことができるんだよ。しかしながら本の登場人物ほどストレスを持つことはできないんだ。彼らは飢えと失望で死んでいくのだから。」彼の役柄の人物は守らなければならない子供がいるため絶えず防御の体制にいる。そして彼が出会うすべての人を疑う。
カメラが回っていないときはViggoは社会から逸脱した人物とは程遠い。彼は計算することもなく差別することもなく常に与える。彼にとってよいことは ほかの人にとってもよいことなのだ。 彼は自分のチョコレート好きを薦めるべく板チョコレートがたくさん入った袋を毎日映画スタッフにも振舞った。彼はいろいろな種類のベーコンとミルクチョコレートに目がない。彼は自分が撮った写真の本や詩や彼がピアノを演奏しているCD、東欧の旅から持ち帰った本などをプレゼントした。
午後になって天気予報とおり太陽は隠れHillcoatは 数少ない葛藤のシーン、父親が幻の少年を追いかける息子を邪魔するシーンを撮影することができるようだ。二人の俳優は稽古のときも強い感情を込めていた。この映画のシーンは 午後の間ずっとあらゆるアングルから撮影されるのだろう。毎回同じような激しさをもって。
“そこには窮迫された人物と心の動揺しかないだろう。映像はすばらしいものだが見るのはつらいものがある” (Viggo Mortensen)
天才少年
Kodiは素晴らしい。彼は小説のなかの少年よりも3歳年上の11歳である。この役のオーディションはアメリカとイギリスとオーストラリアで行われた。8歳の子供たちは実際のところ幼すぎた。彼らのなかの一人を選びそうになりながら Hillcoatは感情的な部分である種の複雑さを得られない可能性を感じた。McCarthyの同意を得てもっと選択の幅を広げてKodiを見出した。若いオーストラリアの少年とViggoの間の相互作用は驚くべきものである。ViggoはKodiの直感と知性が演技を常に創意的なものにしていることをなんと表現していいかわからなかったようだ。HillcoatはKodiのことを今まで一緒に仕事をしてきた俳優のなかでも優れている俳優だと断言する。この映画は彼のよるところが多いだろう。
快晴とのおっかけっこは続いている。日が暮れるころ、スタッフは撮影の後半日程カレンダーを配布されることになっている。見たところセイント・ヘレン山での撮影シーンはなくなったようだ。枯れ木のシーンがないのが残念だ。メイク専用のトラックの窓の向こうでViggoが手を振った。彼の暗い眼窩の元、青い瞳がこれまでにないほど情熱的に燃えている。
ってこの『Premiere』は5月号
6月25日にViggoさまの『Alatriste』がやっと公開という情報をいただきまして、憧れのかぴたん姿

Viggoさま語録というよりは 映画『The Road』の撮影苦労話が多い印象です。Viggoさまがこの映画に出演を決めたときのエピソードに 役者魂をひしっと感じまして惚れ直しました~!
ワタクシもViggoの大ファンとして精進してまいりますっ。
しかし この映画 くらくらするラブシーンも美尻シーンも内股長い脚の披露もなさそうだぁ~・・・
↑ 何 期待してるんだか???
すみません つぶやかせていただきました。無視してください。
(注)ぎこちない和訳に国語力のなさが垣間見られますがどうぞお許しください
La Route Again(The Road)
Viggo Mortensenは Cornac McCarthy原作の小説を元にオーストラリア人John Hillcoat監督が映画化した『The Road』で演じるにふさわしく疲れた状態だった。
“映画が小説を超えるとは言わないけれど、おそらく映画のほうがより真実味を帯びて衝撃的かもしれない”(Viggo Mortensen)
悲しい一日、快晴。 リラックスしているJohn Hillcoatはこの運の悪さを茶目っ気たっぷりに皮肉ってみる。映画『The Road』の撮影にとって、彼にとって この春のまばゆいばかりの太陽は脅威なのである。というのも撮影はこの日とは正反対の悪い気候に向かっているわけだから。
Cormac McCarthyの原作を映画化した話は、悲惨きわまる世界における父と息子の長い旅を描いている。気候が悪化することを懸念して小説に出てくる、単に『男』と『少年』と呼ばれるものたちは 生き延びていくためにより気温の高い海に向かって歩き続ける。彼らが冬を逃れているというのに、John Hillcoartは春から逃れようとしているというのだ。
アメリカとカナダとヨーロッパで育った映画監督John Hillcoatは祖国オーストラリアで映画のミュージッククリップを撮影することから始めた。特に長いこと交流のあったNick Caveのクリップだ。1990年政策の“Ghosts of the Civil Dead”は今までに類を見なかった牢獄映画の評判を維持している。1996年製作Tcheky Karyo主演の“To Have and to Hold”の後、2005年にGuy Pearce,Ray Winstone,John Hurt,Emily Watson共演の映画“The Proposition"でカムバックした。この映画は賞をとったものの、フランスでは未公開のままだ。
『The Road』は彼の初のアメリカ映画となる。彼はオリジナル小説の作家Cormac McCarthyの評判のおかげで この作家の作品にはBilly Bob Thornton監督の“All the Pretty Horses ”とコーエン兄弟の“No Country for Old Man”がある。Hillcoartはかなり前からこの作家のファンであり、“The Proposition"は 小説“Blood Meridian "(1985)の影響を受けている。 アメリカで2006年に『The Road』の出版のすぐ前にHillcoatは原稿を読んで感動した。「わたしは McCarthyのもつ極端な世界が大好きなんだ。環境と景色が大切な出演者になっているんだよ。『The Road』はもっと感動的で奥が深いのだが」。シナリオライターのJoe Penhallがスクリプトを執筆中にHillcoartは資金集めに走り、プロジェクトはかなり早くにスタートすることになった。
荒廃した風景
原作でも火の嵐をともなう目がつぶれるような光の記憶について描写した数行以外、惨事の原因についてはほとんど触れていない。監督も核戦争・産業事故、自然災害などの想像の余地を残しながら背景に関しての一切の説明は省いた。エネルギー源も植物も動物もほとんどいない。生き残った人たちは、まだ荒らされていない残りの部分を食べて生き延びている。
映画については舞台装置が大きな要素を占めている。John Hillcoatはできるだけ現実にちかい風景を使うことに徹した。舞台装置担当のChris Kennedyはもう使われていない道路や廃墟の家、枯れた植物のある荒廃した風景が広がるところを求めてペンシルバニア、オハイオ、ルイジアナを走りぬけ、ワシントン州、オレゴンにも訪れた。「生命の形跡を取り除いてしまうと かなり単色彩の世界に到達するんだよ。プラスチック素材を除いてはね」と監督は説明する。「しかし灰と残骸で汚染された有毒な世界なんだ。僕たちは この世界に叙情的な部分を持たせながらできるだけ生々しい状態にしたかったんだ。」と付け加えた。
我々が撮影したゾーンはピッツバーグの郊外だった。産業化が廃れてしまったことによる被害者であるそこの住民の多くは1980年代にこの町を捨てて出て行き、3分の2の家が空っぽの状態なんだ。我々は男(ViggoMortensen)がかつての彼の家を見つけるシーンをここで撮影することになった。今朝のシーンは 少年(Kodi SmitMcPhee)が彼と同じ年ぐらいの少年を見たと思い込んで 父親が夢を見たに違いないと引き止めるのも聞かずに追いかけるシーンだ。舞台装置はあるがままのものが使われた。新しい撮影のたびに人工の灰がトラックによって散布された。撮影のはじめ、3月は寒さと雨と雪が降って映画には好都合だった。28日目(50日の撮影で)になって春がやってきて面倒なことになった。俳優陣は寒い演技をしなければならなかった。撮影後には白い息を口から出しているように蒸気を付け加えなければならないだろう。俳優たちはおびただしい数の重ね着にかろうじて耐えていた。最悪なことに木々には若葉が芽生え始めていた。
映像に効果のあるものは音にも同じような効果をもたらす。鳥のさえずりは列車の音や警察のサイレンと同様 生命のない廃墟においては邪魔だった。Sean Pennの“Into the wild"で同じような困難を経験した音響担当者が特別なマイクを使って切り抜けた。Hillcoatは“苦しむ地の唸り”と称した風を加えた。
音楽に関しては、ミニマリストである。「おそらく無調の雰囲気となるだろう。メロディーのあるパーツは極めて少なく対位法的に使われるだろう。」と監督は、明言する。"The Proposition”の音楽を担当したNick CaveとWarren Ellisが現在担当中である。映像ディレクターのJavier Aguirresarobe(Alejandre Amenabarの「The others」と「Mar adentro」を担当している)は少年がもう一人の子供を建物の窓越しに見かけるシーンを調整している。太陽光線がまぶしい道にあるKodiの影が問題になっているようで10メートルほど光の届かないところに場所を移すことになった。Hillcoatは取り直し撮影する時間がないことを後悔している。

猶予期間のヒーロー
浮浪者が撮影チームのほうに向かって歩いてくる。彼のぼろ着はもう半年も着たままのような雰囲気である。彼はこの地区にいる住民とは似ても似つかない。撮影準備のできたViggo Mortensenである。衣装は付属品だが髭と髪の毛は本物だ。やせた姿さえも。この役を引き受ける前に 彼は2年のノンストップの仕事を終えたばかりで休息するつもりだった。写真の展覧会をすることを予定していたが、Hillcoatが『The Road』のシナリオを彼に読ませることに成功したとき、彼はこの仕事を断れないと悟った。そして「僕は役柄にぴったり当てはまるぐらい肉体的にも精神的にも疲れているんだ」と考えた。 あとは髭を伸ばすぐらいだった。求められている精神状態に近づくためにViggoは詩を読んだり音楽を聴いたりまたは憐憫について書いたショーペンハウアーのような作家の本を読んだ。彼はさまざまな浮浪者と話す機会を持った。「穏やかな人、攻撃的な人、混乱している人がいたが みんな前に進み続けることを考えていることが共通点だった」と語る。
Viggoは原作も好きだが彼の視覚的言葉を持って映画が一歩踏み込んだところに行くのではないかと考えている。「僕は映画が本を超えるとは言わないけれど、おそらく映画のほうがより真実味を帯びて衝撃的かもしれない。そこには窮迫された人物と心の動揺しかないだろう。映像はすばらしいものだが見るのはつらいものがある。」
彼がこの役柄を引き受けるにいたった理由のひとつには憐憫の概念がある。「きわめて困難な状況においても人は憐憫の気持ちを持つことができる。しかしながらストレスのあるときには完全に忘れてしまうことができるんだよ。しかしながら本の登場人物ほどストレスを持つことはできないんだ。彼らは飢えと失望で死んでいくのだから。」彼の役柄の人物は守らなければならない子供がいるため絶えず防御の体制にいる。そして彼が出会うすべての人を疑う。
カメラが回っていないときはViggoは社会から逸脱した人物とは程遠い。彼は計算することもなく差別することもなく常に与える。彼にとってよいことは ほかの人にとってもよいことなのだ。 彼は自分のチョコレート好きを薦めるべく板チョコレートがたくさん入った袋を毎日映画スタッフにも振舞った。彼はいろいろな種類のベーコンとミルクチョコレートに目がない。彼は自分が撮った写真の本や詩や彼がピアノを演奏しているCD、東欧の旅から持ち帰った本などをプレゼントした。
午後になって天気予報とおり太陽は隠れHillcoatは 数少ない葛藤のシーン、父親が幻の少年を追いかける息子を邪魔するシーンを撮影することができるようだ。二人の俳優は稽古のときも強い感情を込めていた。この映画のシーンは 午後の間ずっとあらゆるアングルから撮影されるのだろう。毎回同じような激しさをもって。
“そこには窮迫された人物と心の動揺しかないだろう。映像はすばらしいものだが見るのはつらいものがある” (Viggo Mortensen)
天才少年
Kodiは素晴らしい。彼は小説のなかの少年よりも3歳年上の11歳である。この役のオーディションはアメリカとイギリスとオーストラリアで行われた。8歳の子供たちは実際のところ幼すぎた。彼らのなかの一人を選びそうになりながら Hillcoatは感情的な部分である種の複雑さを得られない可能性を感じた。McCarthyの同意を得てもっと選択の幅を広げてKodiを見出した。若いオーストラリアの少年とViggoの間の相互作用は驚くべきものである。ViggoはKodiの直感と知性が演技を常に創意的なものにしていることをなんと表現していいかわからなかったようだ。HillcoatはKodiのことを今まで一緒に仕事をしてきた俳優のなかでも優れている俳優だと断言する。この映画は彼のよるところが多いだろう。
快晴とのおっかけっこは続いている。日が暮れるころ、スタッフは撮影の後半日程カレンダーを配布されることになっている。見たところセイント・ヘレン山での撮影シーンはなくなったようだ。枯れ木のシーンがないのが残念だ。メイク専用のトラックの窓の向こうでViggoが手を振った。彼の暗い眼窩の元、青い瞳がこれまでにないほど情熱的に燃えている。
by cinephile
| 2008-06-06 05:07
| Viggo3どぅわいすき














