2007年 11月 18日
Les inrockuptibles11月6日号* |
Les inrockuptiblesレザンロキュティーブル?と読むのかなあ?(Worksさん!引っ張らせていただいてます。感謝!)週間誌です。タイトルの意味は・・・わかりません。少なくとも辞書にない~。
No.623号の特集がViggo Mortensenでしたので(学校の仕事でご一緒しているMさん情報ありがとうございました)VBS状態(:Viggo美尻シンドローム)ではありますが、PC不調もなんのその、日本語にしてみました。よろしかったら御付き合いくださいませ。
ちなみにこのインタビューはパリのホテルランカスターでだったようです・・・・うううう~~~、私何してたんだぁ~~!またもや30分で駆けつけられるようなところにいたなんて!!!考えただけでも ボンベ~~~!!!
Viggoがいなかったら この映画を撮らなかっただろう
ロンドンのギャング映画『Eastern Promises』でDavid CronenbergとViggo Mortensenは『A History of Violence』から始まった魅惑的なコラボレーションを続けている。公共の場では からかいあうのが何よりも好きなこの二人の楽しい対話。
『A History Of Violence』と『Eastern Promises』の2本の映画で、この二人はお互いに発見したらしい。もちろんDavid CronenbergはすでにJames Woods, Christopher Walken, Jeremy Ironsといった大俳優と一緒に仕事をし、Viggo MorensenはSean PennやGus Van Santといった才能のある監督と一緒に映画を撮っている。が、この2本の映画からは、まるで俳優の彫刻のような肉体とスフィンクスのような美しい顔立ちが、カナダ人の映画監督の道徳的にも複雑な辛口のスリラーのためにあると思わせるような 感動するような理想の錬金術が滲み出ている。
彼らの共同作業は実際の生活においても続いているようである。そして芸術的な監督でもある映画監督と彼の手の中にある粘土のである俳優の従来の関係をからかうような感じで再現するかのように からかい好きの男を演じるCronenbergとそれに動じない犠牲者を演じるMortensenの、クラシックの2重奏をちりばめた対話においても。二人のユーモアたっぷりの会話の中でも、仕事での関係や新作映画の基本となったロシアの文化への探求過程、そしてアクション映画の歴史に残るであろう殴り合いのシーンについて語られている。すべてはLos Angeles Timesに載った映画の批評の事から始まった。
=対話=
David Cronenberg: 「EasternPromises」のポジティブな かついらいらするような批評を読んだばかりなんだよ。
Viggo Mortensen:ときどき批評家は映画について考えられないものなんだよ。
その批評は映画のなかの暴力に対しての批判ですか?
DC:いや それがViggoのことなんだよ!
VM:その記事は読んでないけど、批評が中途半端なものになってしまうと、たいてい「この映画がよい映画なのかどうかわからない」から始まって、映画のなかでよい部分のリストが挙げられる。だけどDavid,その批評って何なんだい?僕がキャストミスだって?
DC:ちがうよ。そんなことを言おうとしているんじゃないよ、読めよ!
VM:ほら~。
DC:批評はこの映画の君はテクノロジーの分野の人間のようだと言ってるんだ。俳優でもなく人物でもなくロボットだと。
VM:あ~~~、この人は映画を見てないんだろうね。
DC:専門的にはこの批評は好意的なんだけど、君に関するコメントがとてもいらいらするな。
あなた方の2本の映画で、お互いにとって理想の映画のパートナーを見つけたような強烈な錬金術のようなものを感じます。
DC:つまりあなたはすでに我々がどのぐらいうまく2重奏を演奏しているかが御分かりなんですね!
VM:Davidは役者に強力で巧妙な道具を仕掛けるんだよ。彼は撮影現場にコーヒーとお菓子などをおいてとてもリラックスした雰囲気を作るんだ。しかし彼は絶え間なく録音室に行ってはスターリンの演説、特にロシア語のあるフレーズを繰り返し流すんだ。僕には最後にその意味がわかったよ。『私は誰も信用しない、私自身さえも』という意味だったんだよ。このフレーズは繰り返し繰り返し流れたんだ。
DC:自分を信じないような理由があったんだよ!
お二人はどのようにして出会ったのですか?お互いの仕事はご存知だったのですか?
VM:あ~ それを知っていたら!
DC:最初のときは、数年前のカンヌ映画祭のときだった。映画のフェスティバルのためにあつらえられた『ロード・オブ・ザ・リング』スタイルに装飾されたお城でだったんだ。そのときに髪を肩まで伸ばしたViggoに会ったんだよ。彼は私に「あなたの映画が好きですよ」と言ったのだが、彼はそれを覚えてないんだ!Liv Taylorが我々と一緒にいて彼女はとても気さくだったが、君ははどちらかというと冷たくてよそよそしかったよなあ~。私はViggoの映画を見ていたが、彼のことをちょっと気になる脇役の俳優だと思ってたんだ。主役の俳優だなんて思いもしなかったよ!
ショーン・ペン監督の『Indian Runner』は御覧になりましたか?
DC:いや 私はこの映画に出ていたViggoのよい評判は聞いていた。私はViggoのどうしようもない映画だけしか見てないんだよ!それから『A History of Violence』の仕事を始めたときに、我々はロサンゼルスのフォーシーズンホテルのレストランで会ったんだ。Viggoは来たときに不機嫌だったのに、それを覚えてないんだよ。彼は映画の内容の政治的な部分について考えていたように思う。彼は映画における政治的なメッセージの方向性をとても気にするんだよ。私は、彼が絶対に暴力を扱った映画には出ないだろうなあと思った。なぜなら彼はとても政治的に正しすぎるからね。Viggo,私は君がこのプロジェクトに参加したいのかどうか本当に確信が持てなかったんだよ。君はかなりそっけない波動を送ってきたからね。
VM:君はカナダからわざわざはるばる来る必要はなかったんだよ。
DC:確かに君にただ会うためだけならね。つまり我々はかなり話をしたにも拘らず、別れたあとに、私は彼がこの映画に出演するかどうかわからないままだったんだ。それから彼は私に電話をしてきて、映画のことや主人公について話し始めた。その次の日も、またその次の日も・・・。だからついに私は彼に言ったんだよ。『Viggo、君はこの映画をやるのかい、どうなんだ?』そうしたら彼は答えたよ。『ああ、もちろんだよ!』 彼は私に一度もはっきりとやるのかやらないのか言わなかったしいつ彼が決心をしたのかも言わなかった。
David、あなたは俳優を選ぶときに、芸術的観点から選びますか?それとも俳優とあなたの間で結ばれた人間関係が大きく左右しますか?
DC:私がViggoを選んだのは、彼しかいなかったからさ。彼のギャラは高くなかったからね。最後に彼は私に『僕は君が言うことをみんなやるよ』と言ったんだ。こういうタイプの役者はいいね!命令に従って、つべこべ言わない!これが我々の関係の基盤となるものは。
VM:僕はDavidがアーティスト的な監督だということも頭脳明晰なことも知っていた。僕は我々の関係において彼が楽しい存在なのか奇妙な存在なのか考えた。両方とも言えることなんだ。彼は心地よく奇妙で、おかしなぐらい心地よい!それ以来友達だよ。我々は同じ周波数だし、我々はたくさん話し合わなくてもたくさんの仕事をこなすことができる。果てしない分析をして時間のロスをする必要がないんだよ。役者にとって、概念的な会話は理想じゃない。映画の製作についても同じことが言える。準備段階で概念的な仕事をすることはあっても、実際に撮影現場に立つと具体的なことしか存在しないんだ。
Viggo、あなたは『A History of Violence 』の政治的な内容に本当に不安でしたか?
DC:私は君とのことについては何にも確信が持てなかったよ。君は私のことをほったらかしにしたからね。恐らくそれは君の策略だと思うけれど。この策略は女にも通用するのかい?
VM:時々ね。たちの悪い女にいつも使えるんだよ。!
Viggo、Davidはあなたを驚かせましたか?
VM:はい、特に『A History...』のときは。というのは『Eastern Promises』のときは、すでに彼のことをもっとよく知っていたから。もっとも大きな驚きは、彼と映画を撮るのはどれだけ心地よくて楽しいかということを発見することだった。難しい場面でさえリラックスした雰囲気で撮影現場も冗談ばっかりで、演じるのはとても面白かったよ。彼は映画製作のスタッフのそれぞれのメンバーが仕事に一生懸命になるようなムードをつくるのが得意なんだ。Davidが決定権を握っていても役者も技術者たちもすべて一体となって仕事をするんだよ。特にDavidの撮影現場は、撮影が難しいシーンになっても いつも笑いと熱気であふれているのさ。
DC:よく私の作品らしさ、私の名前がついているということについて聞かれるが、撮影中はそういうことについて絶対に考えない。基本的な問題についてしか考えないのだ。このシーンをもっと生き生きとしたものにするにはどうしたらよいか?この場面をもっと興味深くかつ興奮させるようなものにするにはどうしたらよいか?それだけだよ。ほかの事は一切心配しない。
しかしながら,あなたはかなりコンセプチュアルな頭脳派監督ですよね?
DC:この評判はハリウッドでは何の価値も無いんだよ!もしもあなたが“車の事故とセックス”というコンセプトの映画『Crash』をあるスタジオに持っていったとする。あなたはスタジオの人間がすぐにあなたの映画に投資してくれると思いますか? ハリウッドにおけるハイコンセプチュアルとはわかりやすくて映画スターが出演して大ヒットにつながる可能性があるものなんだ。私のどの映画もこの基準に当てはまっていないよ。
最近の2本の映画で、あなたはあなたの個人的な妄想とギャング映画の古典的なきまりの間にちょうど良いバランスを見出したのではないですか?
DC:もしもあなたがこのLA Timesの批評を読んだらそんなこといわないだろう!あなたは『Eastern Promises』は、ナオミ・ワッツがバイクと赤ん坊を交換したからアンチフェミニストで反動的で悪い映画だと思いますか? 私の昔の映画を好んでくれた人たちは、私の最近の2本の映画は古典的過ぎると言うかもしれない。モダン主義と古典主義の間のバランスを考え始めたら、絶対に良いものは作れないよ。さっきも言ったように、毎回できるだけ良い映画を作ることに徹しているよ。『Eastern Promises』に関しては、それぞれがハイレベルで仕事をしてくれたようだ。一つの映画を作るということは、そこに2年間の人生を費やし、仕事をし、頭はそればっかりだ。。監督の仕事は実際そういうものさ。
『Eastern Promises』には沢山の階層の人がいますが、このプロジェクトのスタート時点での監督的な発想はどんなものでしたか?
DC:この映画は女の子を引っ掛けるにはいい方法になるなと思ったよ。
VM:二人にとって・・・
DC:私の名前を出すなと言っただろう。
VM:それじゃ僕のことだけ話すよ。僕を夢中にさせたのはロンドンという西欧の街に入り込んだロシアの世界であり、地下に潜む文化だった。ロシアについて、ロシアの歴史について、ロシアマフィアについて沢山読んだよ。ロシアについて、ロシアの文化、文学について、詩について沢山学んだし、沢山読めば読むほど僕の知識がうわっつらなものだったことに気がついた。その上映画の準備と撮影が進むにつれて反対派の毒殺事件やロンドンにオルガ近辺から逃亡してきた人たちの歴史が絡んだ事件のようなロシアのニュースが絶えなく、これら全部が映画に新しい層を加えていったんだ。ニュースが直接映画のストーリーに関係なくても、映画の内容を厚みのあるものにしていった。
DC:北米ではロシアのことをソビエトの対象として考える傾向にあるが、この文化が1000年以上も続くものであることを忘れている。この風変わりな強烈な文化は共産主義の時代の前に存在していたんだ。現在のロシアで水面から顔を出しているのは、非常に原始的な形の資本主義の急激な発見と昔からのロシアが組み合わさったものなんだ。ロシアの文化、メランコリー、宿命論、暗黒の部分、そして宗教心の特性が混ざり合った未開の資本主義ということだ。
『Eastern Promises』はドストエフスキーが混じったマフィア映画になりますか?
DC:もちろん!ドストエフスキーは犯罪人について書いた。ソビエトの時代のあとに彼はまた大きくカムバックしてきたんだ。犯罪とは映画的に見るととても興味深いことなんだよ。なぜなら犯罪人たちは、絶え間なく罪を犯す状況のなかで生活しているからね。彼らは文字通りアウトローで倫理からも道徳からも外れているんだ。“普通の”人たちはこういうことに脅威を抱きながらも興味を持つ。犯罪という観念のなかにどこか魅力があるんだろう。いつかある日我々が生活する社会の決まりや道徳や法に従わないと自分で決断できるということにね。秩序の崩壊は恐怖を抱かせるがセクシーで魅力的なんだよ。
ロシアマフィアの刺青の暗号は人間の体を取り巻く、常に繰り返される心配ごとに結びついていますね。
DC:しかし映画監督はみな人間の体に興味を持っているものだよ!役者を撮影するときに、人間の体を撮るわけだから。
しかしあなたは人間の体をほかの多くの映画監督よりもより強烈かつ曖昧かつ中心的に描きました。
DC:それはわかっている。私を強く揺り動かすものは人間であることなんだ。そして何よりも肉体。私は自分の映画の中心がこのアイデアであることに気を配っている。私の映画は抽象的ではないしコンセプチュアルでもない。反対にとても肉体的なんだよ。肉体的な特性は抽象的な発想を生み出すが、私の映画は何よりもまず肉体的なんだ。刺青は体の上に描くこと、体とコミュニケーションを図るひとつの方法だ。そこに興味がある。
VM:映画のなかの僕の刺青の一つは「大切なのは人間的であること」と描いてある。僕は僕の役柄と映画のストーリーからいってこれはよいスローガンだと思うんだ。明らかにロシアマフィアにとってこの言葉は違うことを示しているんだよ。人間的であること、とは人としてあること、どんな法にもどんな社会のルールにも従わない、自分自身を除いてはということなんだ。僕にとって、僕の役柄であろうとナオミ・ワッツの役柄であろうと どんな残忍な状況であったとしても大切なのは的確に行動すること、同情の気持ちがあることを示すことだ。人生において、無償でよい行いすることは義務付けられていないが、時々人は驚かすようなことをするし、よい行いをするものなんだよ。映画の主題は、肉体や暴力という問題よりも もっと悪い状況でも人間的でいることができるということだと思う。
Viggoの特筆すべき性質とはなんでしょうか?
VM:僕は従順な奴隷だな。
DC:そうだね。私は数多くの名俳優と仕事をしてきた。Viggoは確かにこの俳優のリストの頂点だよ。役者として申し分ないが、役柄と映画の内容もあって彼を選んだんだよ。もしも彼が役にあてはまらないと思ったら選ばなかったよ。我々は友達だが、キャスティングのエラーをするようなことは彼にはしないよ。どんなに才能のある役者でも 全部を演じることなんてできないさ。シナリオを読みながら、ニコライの役柄にViggoを見ることができたんだ。もしも彼がこの役を断ったら、この映画を撮ったかどうか定かじゃないな。仕事関係と同様友人としても我々はお互いに知っていたし、親密な関係を作ってきたから 映画の主題にすぐに入ることができた。Viggoは根っからの役者だ。スターは自分のイメージを心配し、時々「犯罪者のように見られたくないからこの役はできない」とかゲイの役はしたくないとか、自分にそぐわないイメージの役柄は演じられないとか言うものだ。そんな風に反応する役者は俳優というよりはむしろセレブだ。私は役者と一緒に仕事をするほうが好きだ。役者というものは、善人だろうが悪役だろうがその中間の曖昧な役だろうが どんな役をするのも拒まないからね。
アマム(*トルコ風の浴場)でのすごいシーンについて語ってください。長い殴り合いのシーンで、有名な役者が一糸まとわずという姿を見ることは滅多にないことですよね。
DC:ある晩Viggoは酔っ払ってたんだよ。そこへ私がカメラを持ってきて録画したんだ。彼にとってはまったく当たり前の夜だったんだが。毎晩彼はチェチェン人と殴りあうためにアマムに出かけたのさ!信じないだろう? うん、このシーンのシナリオはただ単に「ニコライはアマムにいる。二人の男がナイフを片手に彼を殺しにやってくる。しかし彼は彼らを殺す」とね。それだけだよ。詳しいところを決めていったのは撮影のときなんだ。たとえばナイフの種類を決めるときには、どこでも手に入るような、安い、絨毯をカットするための曲がったナイフにするとかね。もしもギャングが道で警官につかまっても「俺たちは絨毯を敷く仕事をしてるんだ」と言えるだろう。我々は本物のアマムをベースにして内装を作り変えたものを作ったんだよ。あとは振付師とスタントマンがViggoともう2人の役者と仕事をした。徐々に場面が出来上がっていったんだ。この場面の準備は長かったけれど、撮影は2日間だけだった。
VM:このシーンは二つに分かれていた。いろいろな角度から見たものだけれど。振り付けの観点から言っても、幾何学的な観点からしてもとても野心的な場面なんだ。しかし撮影は短かった。もしもほかの監督とこのシーンを撮ったら、もっと長かったと思う。この話の流れでこの場面は大切だったから、裸で撮影することに悩まなかったよ。まず動きを壊さないためにも長い場面を撮影した。二日目にもっと短い断片的なシーンを撮影した。細かい部分を念入りに仕上げたんだ。
DC:Viggoはこの場面のあとはあざだらけだった。でも彼はそういうのが好きなんだ!
No.623号の特集がViggo Mortensenでしたので(学校の仕事でご一緒しているMさん情報ありがとうございました)VBS状態(:Viggo美尻シンドローム)ではありますが、PC不調もなんのその、日本語にしてみました。よろしかったら御付き合いくださいませ。
ちなみにこのインタビューはパリのホテルランカスターでだったようです・・・・うううう~~~、私何してたんだぁ~~!またもや30分で駆けつけられるようなところにいたなんて!!!考えただけでも ボンベ~~~!!!
Viggoがいなかったら この映画を撮らなかっただろう
ロンドンのギャング映画『Eastern Promises』でDavid CronenbergとViggo Mortensenは『A History of Violence』から始まった魅惑的なコラボレーションを続けている。公共の場では からかいあうのが何よりも好きなこの二人の楽しい対話。
『A History Of Violence』と『Eastern Promises』の2本の映画で、この二人はお互いに発見したらしい。もちろんDavid CronenbergはすでにJames Woods, Christopher Walken, Jeremy Ironsといった大俳優と一緒に仕事をし、Viggo MorensenはSean PennやGus Van Santといった才能のある監督と一緒に映画を撮っている。が、この2本の映画からは、まるで俳優の彫刻のような肉体とスフィンクスのような美しい顔立ちが、カナダ人の映画監督の道徳的にも複雑な辛口のスリラーのためにあると思わせるような 感動するような理想の錬金術が滲み出ている。
彼らの共同作業は実際の生活においても続いているようである。そして芸術的な監督でもある映画監督と彼の手の中にある粘土のである俳優の従来の関係をからかうような感じで再現するかのように からかい好きの男を演じるCronenbergとそれに動じない犠牲者を演じるMortensenの、クラシックの2重奏をちりばめた対話においても。二人のユーモアたっぷりの会話の中でも、仕事での関係や新作映画の基本となったロシアの文化への探求過程、そしてアクション映画の歴史に残るであろう殴り合いのシーンについて語られている。すべてはLos Angeles Timesに載った映画の批評の事から始まった。
=対話=
David Cronenberg: 「EasternPromises」のポジティブな かついらいらするような批評を読んだばかりなんだよ。
Viggo Mortensen:ときどき批評家は映画について考えられないものなんだよ。
その批評は映画のなかの暴力に対しての批判ですか?
DC:いや それがViggoのことなんだよ!
VM:その記事は読んでないけど、批評が中途半端なものになってしまうと、たいてい「この映画がよい映画なのかどうかわからない」から始まって、映画のなかでよい部分のリストが挙げられる。だけどDavid,その批評って何なんだい?僕がキャストミスだって?
DC:ちがうよ。そんなことを言おうとしているんじゃないよ、読めよ!
VM:ほら~。
DC:批評はこの映画の君はテクノロジーの分野の人間のようだと言ってるんだ。俳優でもなく人物でもなくロボットだと。
VM:あ~~~、この人は映画を見てないんだろうね。
DC:専門的にはこの批評は好意的なんだけど、君に関するコメントがとてもいらいらするな。
あなた方の2本の映画で、お互いにとって理想の映画のパートナーを見つけたような強烈な錬金術のようなものを感じます。
DC:つまりあなたはすでに我々がどのぐらいうまく2重奏を演奏しているかが御分かりなんですね!
VM:Davidは役者に強力で巧妙な道具を仕掛けるんだよ。彼は撮影現場にコーヒーとお菓子などをおいてとてもリラックスした雰囲気を作るんだ。しかし彼は絶え間なく録音室に行ってはスターリンの演説、特にロシア語のあるフレーズを繰り返し流すんだ。僕には最後にその意味がわかったよ。『私は誰も信用しない、私自身さえも』という意味だったんだよ。このフレーズは繰り返し繰り返し流れたんだ。
DC:自分を信じないような理由があったんだよ!
お二人はどのようにして出会ったのですか?お互いの仕事はご存知だったのですか?
VM:あ~ それを知っていたら!
DC:最初のときは、数年前のカンヌ映画祭のときだった。映画のフェスティバルのためにあつらえられた『ロード・オブ・ザ・リング』スタイルに装飾されたお城でだったんだ。そのときに髪を肩まで伸ばしたViggoに会ったんだよ。彼は私に「あなたの映画が好きですよ」と言ったのだが、彼はそれを覚えてないんだ!Liv Taylorが我々と一緒にいて彼女はとても気さくだったが、君ははどちらかというと冷たくてよそよそしかったよなあ~。私はViggoの映画を見ていたが、彼のことをちょっと気になる脇役の俳優だと思ってたんだ。主役の俳優だなんて思いもしなかったよ!
ショーン・ペン監督の『Indian Runner』は御覧になりましたか?
DC:いや 私はこの映画に出ていたViggoのよい評判は聞いていた。私はViggoのどうしようもない映画だけしか見てないんだよ!それから『A History of Violence』の仕事を始めたときに、我々はロサンゼルスのフォーシーズンホテルのレストランで会ったんだ。Viggoは来たときに不機嫌だったのに、それを覚えてないんだよ。彼は映画の内容の政治的な部分について考えていたように思う。彼は映画における政治的なメッセージの方向性をとても気にするんだよ。私は、彼が絶対に暴力を扱った映画には出ないだろうなあと思った。なぜなら彼はとても政治的に正しすぎるからね。Viggo,私は君がこのプロジェクトに参加したいのかどうか本当に確信が持てなかったんだよ。君はかなりそっけない波動を送ってきたからね。
VM:君はカナダからわざわざはるばる来る必要はなかったんだよ。
DC:確かに君にただ会うためだけならね。つまり我々はかなり話をしたにも拘らず、別れたあとに、私は彼がこの映画に出演するかどうかわからないままだったんだ。それから彼は私に電話をしてきて、映画のことや主人公について話し始めた。その次の日も、またその次の日も・・・。だからついに私は彼に言ったんだよ。『Viggo、君はこの映画をやるのかい、どうなんだ?』そうしたら彼は答えたよ。『ああ、もちろんだよ!』 彼は私に一度もはっきりとやるのかやらないのか言わなかったしいつ彼が決心をしたのかも言わなかった。
David、あなたは俳優を選ぶときに、芸術的観点から選びますか?それとも俳優とあなたの間で結ばれた人間関係が大きく左右しますか?
DC:私がViggoを選んだのは、彼しかいなかったからさ。彼のギャラは高くなかったからね。最後に彼は私に『僕は君が言うことをみんなやるよ』と言ったんだ。こういうタイプの役者はいいね!命令に従って、つべこべ言わない!これが我々の関係の基盤となるものは。
VM:僕はDavidがアーティスト的な監督だということも頭脳明晰なことも知っていた。僕は我々の関係において彼が楽しい存在なのか奇妙な存在なのか考えた。両方とも言えることなんだ。彼は心地よく奇妙で、おかしなぐらい心地よい!それ以来友達だよ。我々は同じ周波数だし、我々はたくさん話し合わなくてもたくさんの仕事をこなすことができる。果てしない分析をして時間のロスをする必要がないんだよ。役者にとって、概念的な会話は理想じゃない。映画の製作についても同じことが言える。準備段階で概念的な仕事をすることはあっても、実際に撮影現場に立つと具体的なことしか存在しないんだ。
Viggo、あなたは『A History of Violence 』の政治的な内容に本当に不安でしたか?
DC:私は君とのことについては何にも確信が持てなかったよ。君は私のことをほったらかしにしたからね。恐らくそれは君の策略だと思うけれど。この策略は女にも通用するのかい?
VM:時々ね。たちの悪い女にいつも使えるんだよ。!
Viggo、Davidはあなたを驚かせましたか?
VM:はい、特に『A History...』のときは。というのは『Eastern Promises』のときは、すでに彼のことをもっとよく知っていたから。もっとも大きな驚きは、彼と映画を撮るのはどれだけ心地よくて楽しいかということを発見することだった。難しい場面でさえリラックスした雰囲気で撮影現場も冗談ばっかりで、演じるのはとても面白かったよ。彼は映画製作のスタッフのそれぞれのメンバーが仕事に一生懸命になるようなムードをつくるのが得意なんだ。Davidが決定権を握っていても役者も技術者たちもすべて一体となって仕事をするんだよ。特にDavidの撮影現場は、撮影が難しいシーンになっても いつも笑いと熱気であふれているのさ。
DC:よく私の作品らしさ、私の名前がついているということについて聞かれるが、撮影中はそういうことについて絶対に考えない。基本的な問題についてしか考えないのだ。このシーンをもっと生き生きとしたものにするにはどうしたらよいか?この場面をもっと興味深くかつ興奮させるようなものにするにはどうしたらよいか?それだけだよ。ほかの事は一切心配しない。
しかしながら,あなたはかなりコンセプチュアルな頭脳派監督ですよね?
DC:この評判はハリウッドでは何の価値も無いんだよ!もしもあなたが“車の事故とセックス”というコンセプトの映画『Crash』をあるスタジオに持っていったとする。あなたはスタジオの人間がすぐにあなたの映画に投資してくれると思いますか? ハリウッドにおけるハイコンセプチュアルとはわかりやすくて映画スターが出演して大ヒットにつながる可能性があるものなんだ。私のどの映画もこの基準に当てはまっていないよ。
最近の2本の映画で、あなたはあなたの個人的な妄想とギャング映画の古典的なきまりの間にちょうど良いバランスを見出したのではないですか?
DC:もしもあなたがこのLA Timesの批評を読んだらそんなこといわないだろう!あなたは『Eastern Promises』は、ナオミ・ワッツがバイクと赤ん坊を交換したからアンチフェミニストで反動的で悪い映画だと思いますか? 私の昔の映画を好んでくれた人たちは、私の最近の2本の映画は古典的過ぎると言うかもしれない。モダン主義と古典主義の間のバランスを考え始めたら、絶対に良いものは作れないよ。さっきも言ったように、毎回できるだけ良い映画を作ることに徹しているよ。『Eastern Promises』に関しては、それぞれがハイレベルで仕事をしてくれたようだ。一つの映画を作るということは、そこに2年間の人生を費やし、仕事をし、頭はそればっかりだ。。監督の仕事は実際そういうものさ。
『Eastern Promises』には沢山の階層の人がいますが、このプロジェクトのスタート時点での監督的な発想はどんなものでしたか?
DC:この映画は女の子を引っ掛けるにはいい方法になるなと思ったよ。
VM:二人にとって・・・
DC:私の名前を出すなと言っただろう。
VM:それじゃ僕のことだけ話すよ。僕を夢中にさせたのはロンドンという西欧の街に入り込んだロシアの世界であり、地下に潜む文化だった。ロシアについて、ロシアの歴史について、ロシアマフィアについて沢山読んだよ。ロシアについて、ロシアの文化、文学について、詩について沢山学んだし、沢山読めば読むほど僕の知識がうわっつらなものだったことに気がついた。その上映画の準備と撮影が進むにつれて反対派の毒殺事件やロンドンにオルガ近辺から逃亡してきた人たちの歴史が絡んだ事件のようなロシアのニュースが絶えなく、これら全部が映画に新しい層を加えていったんだ。ニュースが直接映画のストーリーに関係なくても、映画の内容を厚みのあるものにしていった。
DC:北米ではロシアのことをソビエトの対象として考える傾向にあるが、この文化が1000年以上も続くものであることを忘れている。この風変わりな強烈な文化は共産主義の時代の前に存在していたんだ。現在のロシアで水面から顔を出しているのは、非常に原始的な形の資本主義の急激な発見と昔からのロシアが組み合わさったものなんだ。ロシアの文化、メランコリー、宿命論、暗黒の部分、そして宗教心の特性が混ざり合った未開の資本主義ということだ。
『Eastern Promises』はドストエフスキーが混じったマフィア映画になりますか?
DC:もちろん!ドストエフスキーは犯罪人について書いた。ソビエトの時代のあとに彼はまた大きくカムバックしてきたんだ。犯罪とは映画的に見るととても興味深いことなんだよ。なぜなら犯罪人たちは、絶え間なく罪を犯す状況のなかで生活しているからね。彼らは文字通りアウトローで倫理からも道徳からも外れているんだ。“普通の”人たちはこういうことに脅威を抱きながらも興味を持つ。犯罪という観念のなかにどこか魅力があるんだろう。いつかある日我々が生活する社会の決まりや道徳や法に従わないと自分で決断できるということにね。秩序の崩壊は恐怖を抱かせるがセクシーで魅力的なんだよ。
ロシアマフィアの刺青の暗号は人間の体を取り巻く、常に繰り返される心配ごとに結びついていますね。
DC:しかし映画監督はみな人間の体に興味を持っているものだよ!役者を撮影するときに、人間の体を撮るわけだから。
しかしあなたは人間の体をほかの多くの映画監督よりもより強烈かつ曖昧かつ中心的に描きました。
DC:それはわかっている。私を強く揺り動かすものは人間であることなんだ。そして何よりも肉体。私は自分の映画の中心がこのアイデアであることに気を配っている。私の映画は抽象的ではないしコンセプチュアルでもない。反対にとても肉体的なんだよ。肉体的な特性は抽象的な発想を生み出すが、私の映画は何よりもまず肉体的なんだ。刺青は体の上に描くこと、体とコミュニケーションを図るひとつの方法だ。そこに興味がある。
VM:映画のなかの僕の刺青の一つは「大切なのは人間的であること」と描いてある。僕は僕の役柄と映画のストーリーからいってこれはよいスローガンだと思うんだ。明らかにロシアマフィアにとってこの言葉は違うことを示しているんだよ。人間的であること、とは人としてあること、どんな法にもどんな社会のルールにも従わない、自分自身を除いてはということなんだ。僕にとって、僕の役柄であろうとナオミ・ワッツの役柄であろうと どんな残忍な状況であったとしても大切なのは的確に行動すること、同情の気持ちがあることを示すことだ。人生において、無償でよい行いすることは義務付けられていないが、時々人は驚かすようなことをするし、よい行いをするものなんだよ。映画の主題は、肉体や暴力という問題よりも もっと悪い状況でも人間的でいることができるということだと思う。
Viggoの特筆すべき性質とはなんでしょうか?
VM:僕は従順な奴隷だな。
DC:そうだね。私は数多くの名俳優と仕事をしてきた。Viggoは確かにこの俳優のリストの頂点だよ。役者として申し分ないが、役柄と映画の内容もあって彼を選んだんだよ。もしも彼が役にあてはまらないと思ったら選ばなかったよ。我々は友達だが、キャスティングのエラーをするようなことは彼にはしないよ。どんなに才能のある役者でも 全部を演じることなんてできないさ。シナリオを読みながら、ニコライの役柄にViggoを見ることができたんだ。もしも彼がこの役を断ったら、この映画を撮ったかどうか定かじゃないな。仕事関係と同様友人としても我々はお互いに知っていたし、親密な関係を作ってきたから 映画の主題にすぐに入ることができた。Viggoは根っからの役者だ。スターは自分のイメージを心配し、時々「犯罪者のように見られたくないからこの役はできない」とかゲイの役はしたくないとか、自分にそぐわないイメージの役柄は演じられないとか言うものだ。そんな風に反応する役者は俳優というよりはむしろセレブだ。私は役者と一緒に仕事をするほうが好きだ。役者というものは、善人だろうが悪役だろうがその中間の曖昧な役だろうが どんな役をするのも拒まないからね。
アマム(*トルコ風の浴場)でのすごいシーンについて語ってください。長い殴り合いのシーンで、有名な役者が一糸まとわずという姿を見ることは滅多にないことですよね。
DC:ある晩Viggoは酔っ払ってたんだよ。そこへ私がカメラを持ってきて録画したんだ。彼にとってはまったく当たり前の夜だったんだが。毎晩彼はチェチェン人と殴りあうためにアマムに出かけたのさ!信じないだろう? うん、このシーンのシナリオはただ単に「ニコライはアマムにいる。二人の男がナイフを片手に彼を殺しにやってくる。しかし彼は彼らを殺す」とね。それだけだよ。詳しいところを決めていったのは撮影のときなんだ。たとえばナイフの種類を決めるときには、どこでも手に入るような、安い、絨毯をカットするための曲がったナイフにするとかね。もしもギャングが道で警官につかまっても「俺たちは絨毯を敷く仕事をしてるんだ」と言えるだろう。我々は本物のアマムをベースにして内装を作り変えたものを作ったんだよ。あとは振付師とスタントマンがViggoともう2人の役者と仕事をした。徐々に場面が出来上がっていったんだ。この場面の準備は長かったけれど、撮影は2日間だけだった。
VM:このシーンは二つに分かれていた。いろいろな角度から見たものだけれど。振り付けの観点から言っても、幾何学的な観点からしてもとても野心的な場面なんだ。しかし撮影は短かった。もしもほかの監督とこのシーンを撮ったら、もっと長かったと思う。この話の流れでこの場面は大切だったから、裸で撮影することに悩まなかったよ。まず動きを壊さないためにも長い場面を撮影した。二日目にもっと短い断片的なシーンを撮影した。細かい部分を念入りに仕上げたんだ。
DC:Viggoはこの場面のあとはあざだらけだった。でも彼はそういうのが好きなんだ!
by cinephile
| 2007-11-18 05:08
| Viggo3どぅわいすき














