2007年 11月 11日
STUDIO11月号* |
また見に行っちゃいました『Eastern Promises』。2度目にもなると少しは余裕で画面に集中できるので、なぜViggoがこんな表情をするのか?あのしぐさはどういう意味だったんだろう? 少し謎解きができたような気持ち。
雑誌が山積みになっている本屋の前を通った茜は友達に
『Ah ! Il y a Viggo Mortensen! Ta mère doit être contente!』(あ、ヴィゴ・モーテンセンだ!あなたのママは満足に違いないわね!)と言われたとか。
壊れてます・・・。Viggo美尻症候群(VBS)。
フランスの映画雑誌(cineがここ4年間定期購読している雑誌)STUDIOのViggo Mortensen特集を翻訳してみました。一年分辞書引いたって感じ?
おかしな表現もあるかと思いますが、どうかお許しを!ちなみにこの記事ちょ~~長いですのでスルーしていただいても構いません。
彼におけるすべてが違う。ブルーラベンダー色の彼の瞳は優しくあなたを離そうとしない。信じられないほど重みのある声は時折聞き取れないぐらいにまでになり、それは完璧なフランス語なのである。Cronenberg監督の『Eastern Promises』では髪をオールバックにしたロシアンマフィアの彼を見たばかりだったのに、フランス語を話す彼は次の彼が主演の映画『Appaloosa』のためにひげを蓄えている。いったいViggo Mortensenとは何者なんだろうか?
1985年のPeter Weirの映画『目撃者』でアーミッシュの農民の役を演じて以来この俳優はずっと人とは違う路線で進んできた。1991年にSean Pennの最初の映画『Indian Runner』でベトナム帰りの擦り傷だらけの兵士を演じて他を圧しても、仕事のオファーはついてこなかった。1998年のRidely Scottの映画『GI.ジェーン』でDemi Mooreをしごきぬく鬼軍曹を演じたときに彼はやっと脚光を浴びることになる。この頃すでに40代を迎えたViggo Mortensenのキャリアは辿るほどあるわけでもなかった。ジャズのアルバムを録音したり、形式主義的探求が目立つような写真集を内輪に発行していたり、彼の絵を展示していたので、彼のパーソナリティーは簡単に理解されるようなものでもなかった。
そして『ロード・オブ・ザ・リング』の話が舞い込んで来る。それも偶然に。Peter Jacksonは、彼がアラゴルン役に抜擢したStuart Townsendと折り合いが悪く、彼を首にして代わりの俳優を探していた。ニュージーランドにすぐに出発し18ヶ月滞在しなければならない。多くの俳優が拒みViggoも躊躇する。Tolkenの世界に入るように彼を説得したのが12歳になる彼の息子だった。しかしチャンスはキャリアを築くには十分ではない。才能も必要である。
2001年から2003年にかけて『ロード・オブ・ザ・リング』の3部作が公開になるにつれて、Viggo Mortensenはインスピレーションのある俳優として、ピーター・ジャクソンの作品に欠かせない重要な石となっていった。ミステリアスなオーラを放ち、大俳優としての位置を築くことになる。内に秘めた力強い力を隠すようなクールなそぶり、穏やかな物腰はClint Eastwoodを髣髴とさせる。彼はこの成功を機に、自らの出版社Perceval Press(自作の詩、写真、絵画等も取り扱っている)を創設した。
インタビューのときには必ず彼は裸足で現れる。アルゼンチンのマテ茶用のひょうたんを片手に、腕にはインタビュアーにプレゼントするための本を沢山抱えて。その本とは、イラクに侵攻したBush大統領を非難する内容のものである。ジャーナリストたちは、彼の虜になる。
伝説は動き出す。この伝説は もしも彼が大ヒット目的のうわっつら的映画への出演を続けて行っていたらとっくに終わっていただろうし、彼自身の伝説も終わっていただろう。彼はそのようなことは拒んだ。一本の映画をのぞいて。アラブの世界をもっと知りたいと望んだカウボーイを演じたHidalgoのことである。映画作家通の彼は(彼が愛する映画監督は、Bergmanであり、Ozuであり、Dreyerであり、Pasoliniである)は ただ栄光を手にするためになるような役柄を演じるつもりは毛頭ないのである。だからDavid Cronenbergとの出会いは大切なものであった。お互いにとって。
2005年の『A History of Violence』で、カナダ人映画監督の荒々しさ、人を殺した過去を隠した普通の男を演じた俳優の演技の鋭い演技を再度認識した。しかしながら、映画は望んでいたような賞を受けることはなかった。カンヌ映画祭を手ぶらで後にし、オスカーでもかろうじてノミネートされた。2度目のコラボレーションの映画『Easten Promises』でも 二人の男たちは暴力について驚くべき考察を続けている。ロシアのマフィアの権力ある家族に雇われているミステリアスな運転手の驚くべき彼の姿を見出すわけである。映画は戦慄を与える。彼の演技も。
―あなたは『Eastern Promises』のオファーをすぐに受けませんでしたね。なぜですか?
VM:私は契約のたびにとても慎重になるんだ。David Cronenbergとのときはさらにね。彼をがっかりさせたくなかったから。私は このロシア人の役柄を滑稽にならずに演じることが出来るかという確信をもちたかったんだ。だから私は彼に少し考える時間をもらってこの人物について掘り下げ始めた。
―何を発見しましたか?
VM:私の探求はつねに同じ質問から発するんだ。私は人物が生まれた時から観客がスクリーンにこの人物を見出すまでに何が起こったかを考える。私は、彼がどの街からやってきてどの通りで大きくなったかを知りたいと思うんだ。
―この探求には時間がかかりましたか?
VM:はい。潜水は私にとって大切なことなんだ。毎回映画を学校に通うように考えるのだ。私はロシア語を勉強した。シナリオで使われている言葉に ちょっとした表現を加えられるようにもっとロシア語を使えるようになりたかったからね。それから ニコライ出身の場所がどんなところかを見るためにロシアに行ったんだ。モスクワを隅々までくまなく見て回ったよ。街の雰囲気をつかむには地下鉄が最高の手段なんだよ。それから私はサンクトペテルスブルグに行き、それからもっと遠くのウラル山脈のエカテリンブルグに行った。ここまでがヨーロッパでそこから先はアジアになるというらしい。これらのすべてのイメージが映画の撮影中に私の脳裏に焼きついていたよ。
―あなたを運転手として使っていたロシアンマフィアの息子役のVincent Casselとはどのように仕事をしましたか?
VM:映画の中の我々の関係は少し特異だった。毎晩飲みに出かけるが、同時に彼は友達ではなくパトロンだった。私の仕事は、彼が問題を起こさずに何があっても家に帰すこと。だから我々はお互いにそれぞれが別に役作りを進めたんだ。Vincentは非常に感性の鋭い俳優だ。彼は常に研ぎ澄まされ、危険を冒すことも知っている。これは簡単なようでいて実はそうじゃないんだ。
―あなたはシナリオを膨らませるようなアイデアをもたらしましたか?
VM:David Cronenbergと私はとても気が合うんだ。『A History of Violence』で、私が探し求めるものは私が演じる人物に価値を与えることではなく、その人物像全体に興味を抱いているということだと実感した。私は彼に私が今まで書き溜めてきた詩、曲、映画、本などを送った。彼はそれらのうちのいくつかを選び 残りのは返してきた。私には彼の右腕になるような下心なんてなかった。ただそうすることが自然だと思えたから。それだけのことだ。私は監督によってはそういったものに目を向けることがとても珍しいことは知っている。
―あなたの体を覆っていた刺青のアイデアはあなただったんですよね?
VM:それは刑務所の文化にあるんだよ。これらの刺青には独特の言語が存在するんだ。ということは、体に刺青を入れるときによく注意を払わないといけないということさ!私の手には、サンクトペテルスブルグの恐るべきクレスティー刑務所を意味する十字架がある。背中には見事な大聖堂の刺青がある。屋根の一つ一つが囚人の隠語の独特な言葉なんだ。私の体には、私がロシア語で書いたフレーズもある。そのうちの一つは『大切なのは 人間のままであること。』とある。ただこれだけならいいけれど、ある国の最悪の刑務所を経験した男の体に刻まれたこの言葉は 『誇りをもちつづけること。つまり誰も尊敬しないこと。』という意味になる。
―サウナでの殴り合いのシーンはどのように準備しましたか?
VM:私は 軍隊が実際に練習していたレスリングについての本にあった写真ををロシアで見た。私は自己防御と攻撃するテクニックを学んだ。相手の俳優もそれを知っていた。一人は軍隊を経験したことのあるジョージア人でもう1人は昔トルコのボクサーだった。どっちにしろ、私たちは、スタントマンなしでこのシーンを撮影することが出来たんだ。だから誰も油断しなかったしそれが本物らしくなったんだよ。
―さらにあなたは素っ裸でしたよね?
VM:アメリカではジャーナリストたちがとてもこのことに敏感だった。ヨーロッパでも同じことにならないように願っているよ。私はこのことが観客を映画から脱線させると思わないんだ。なぜなら話の流れから言ってもこのことはとても大切なことだったからね。私を殺すためにナイフを片手に二人の男が現れたとき、タオル一枚しかなかったのだから。私は裸になるかならないかということについて疑問を持たなかった。ただDavidがこのシーンを撮影する時に自由にやってもらいたかったんだ。だからタオルなし!それ故に私はさらに傷つきやすい立場になり、観る側にショックを与えたのだろう。
―ポラー映画の再来をどのように解釈していますか?
VM:David Cronenbergは暴力をとても真面目にに捉えている。この問題についてもっとも責任のある映画監督の一人だよ。彼は観客に暴力シーンに楽しみを見出すようなことは一切しない。暴力にある価値など何も見せてないんだ。この映画にはピストルも存在しない。どの行為も至近距離から行われている。ヒーローが5万回も狙撃されてかすり傷程度で切り抜けるような映画とは程遠いんだよ。
―David Cronenbergはあなたを変えましたか?
VM:確かに。私もそれが必要だったんだよ。(彼は彼の言わんとするところを強調するかのようにフランス語に切り替えた)彼は私の友達になり、穏やかな心と勇気を与えてくれた。私はそう装っていないようでいて彼の仕事に対する真面目な姿勢が好きだ。このビジネスにおいてはとても健康的なことなんだ。David Cronenbergとの2度のコラボレーションよりもよい仕事をしたことはなかった。
―何がほかの監督と違うのでしょうか?
VM:ほかの多くの監督よりも頭がいいってことかなあ!(笑)彼は俳優と技術関係の人間とのリレーションシップやテクニカルな分野において稀に見るバランスのよさを持っているんだよ。これらの人間と仕事をするための才能を持ち合わせていて、撮影の時にはリラックスした静かな雰囲気を作り上げることを知っている。撮影現場では彼と私はほとんど話をしない。たいていは馬鹿みたいな冗談ばかり飛ばしあっているんだよ。
―あなたは『A History of Violence』がオスカーを取るべきだったといいつつもアカデミー賞に出席することを拒みました。それは矛盾していませんか?
VM:私は彼のキャリアからしてDavidのためにがっかりしてしまったんだよ。ほかの多くの20年、30年のキャリアの映画監督とは反対に、彼はその場にとどまらず繰り返すこともしない。彼は映画を撮るごとにさらに進歩していると思っている。
―あなたにとって『ロード・オブ・ザ・」リング』から何が変わりましたか?
VM:『ロード・オブ・ザ・リング』の多くの俳優たちはこの映画の成功のおかげで弾みをつけた。しかし何がしたいのかをきちんと知らなくてはいけないんだ。時々我々の唯一の自由は「No」ということなんだよ。オファーされてもいないプロジェクトを受け入れることもできないしね。だから私は常に同じ基準の上で決断する。何かを学ぶことができる話を受ける。ほかの人たちが違った進め方をしているのは知っているよ。もっと有名になれるように、もっとお金を稼ぐために成功を求める人たちのことだ。彼らはそれが長続きしないことを知っているからね。
―映画の製作を考えていますか?
VM:数年前から温めているアイデアがあるんだ。でも私は写真も音楽もとにかくやることが多くて 今のところちょっと不可能のように思っている。
―これらの活動は映画にとってどのような重要性がありますか?
VM:私は何も考えずにどれも平行し進めているんだ。私の仕事は、思いがけないところに旅をさせてくれる。どこかに座っているときに、私は自分の周りにあるものとか 光などを見ずにはいられない。観察するのが好きなんだ。それは私の意識を目覚めた状態にする手段なんだ。映画のために写真をやめるとかその反対も考えられない。私にとってすべては繋がっているんだ。映画は詩や絵画を呼ぶ。最近、Vincent Amorim監督のナチスの到来に関する映画の『Good』では、私は逃避が音楽にあった教師の役を演じた。私も頭の中でマーラーの曲を常に聴きはじめたんだ。ピアノを弾きたくなった。毎晩撮影が終わると次の日の撮影シーンのインスピレーションを持てるように、少しでもピアノを弾いた。毎回私のイマジネーションは違ったものになった。帰宅すると それを残しておきたくて自分が作曲したものを録音したんだ!(www.percevalpress.comで聴けます)
―あなたの多面的才能はアメリカではどのように評価されているのでしょうか?
VM:ハリウッドのシステムは2つの要素から成り立っているんだ。基本的な基準の上に成り立っている。どのぐらい有名ですか?どのぐらい受賞しましたか?と同時にこの国をステレオタイプでがんじがらめにしていることに怒りを感じている。どこにでもオープンな人間はいるというのに。
―あなたのプロジェクトは?
VM:数日後に『A History of Violence」の共演者だったEd Harrisに合流するためにニューメキシコに行くことになっている。彼は2本目の映画を製作するんだ。私は彼の1本目の映画「Pollock」がとても好きだった。2本目の映画はウェスタン映画の『Appaloosa』。この映画で唯一勉強しなくてもすむのは馬に乗ることだけだ!『Eastern Promises』のプロモーションがあるからあまり準備の時間がないことがとても残念なんだ。
《デヴィッド・クローネンバーグ監督の言葉》
役者とは体である。肉体は役者の道具である。映画監督が俳優をカメラで捉える時にフィルムに記録するものは抽象的なものではなく、筋肉や輪郭といった生きた物体である。私の映画の中で サウナでニコライが殺し屋と激しく戦うシーンのような際立った残忍さが説明している。私はどこまでも無神論者であり、輪廻などは信じていない。肉体が傷つけられるとき、それは私にとって完璧な破壊となる。私の映画を観る人たちにその痛みを強烈に感じてほしい。
初めてViggoを観たとき、まず私の目に留まったのはその体だった。それは1985年の『目撃者』のとき。それ以来私が彼をスクリーンで見るにつれて 彼のことは常に頭の中にあった。私は彼の一見優しそうでいてかなり挑発的な声や彼の知性、ユーモアが好きだ。またそれ以外にもとても気が合うんだ。映画の撮影はとても楽しかった。彼は没頭する人間だ。毎回驚くような探求をし、たとえば刺青のようなアイデアをくれたりもする。
彼のうちにある演技はJack Nicholsonのような外向的な俳優、名優と多くの人たちからみなされている俳優とは対極をなしている。Viggoは自分の感情をぎりぎりまで押しとどめる。際立った俳優なんてもんじゃないんだ。私はむしろ『ロード・オブ・ザ・リング』で多くの人から認められたという彼の経歴を皮肉に思っているよ。この役は恐らく彼が演じた役のなかで一番とらえ難くないものだからね。我々が最初にであったのはカンヌだった。Peter Jacksonの3部作の一つを公開したときだ。映画一色で塗られたお城の中で、周りにホビッツが沢山いたよ(笑)。数ヵ月後の『A History of Violence』の準備のときにロサンゼルスで本当にお互いをよく知るようになり、共通点を発見した。どうも我々は似ているらしいよ。多分本当のことなのかもしれないなあ。
《Vincent CasselからみたViggo Mortensen》
私は思春期のころにDavid Cronenberg監督の世界を知った。『Scanners』や『Videodrome』のような映画を観て。それ以来彼の映画は全部観てきた。しかし『Eastern Promises』で悪役を演じるのに乗り気でもなかったし、特にアクセントのある言葉で演じるのは好きじゃないんだ。でもGasper NoeとJan Kounenがもしもこのオファーを断ったらもう一緒に仕事をしないって脅迫したんだ(笑)。撮影については、私は2人のコーチについた。1人はロシア語、もう1人は英語のコーチ。Viggoは撮影の一週間前にロシアに旅に出るチャンスがあったけれど、私もできれば一緒に彼と行動したかった。我々の共同作業を準備するために、撮影前に1,2回会ったよ。我々の役柄は兄弟でもあり敵でもあった。この二人の間には力関係が存在している。ニコライは私のおもちゃであるのに、このおもちゃは私をコントロールする。この関係の曖昧な点なんだ。我々の本当の関係は、とてもシンプルなものだった。Viggoは寛大でよくプレゼントをしてくれたよ。多分、彼が育ったときに受けた教育や今までしてきた数多くの旅などから来るんだろうな。誰かがカメラの前で演技をしているときに自分が撮影じゃなくてもカメラの近くにいてアドバイスをくれる。彼と私は、エネルギーの発散方法がかなり違う。彼は常に穏やかでとても静かに話す。私はどちらかというと荒々しいほう。彼との付き合いでいろいろと学んだよ。Davidと彼の間で出来上がっていた暗黙の同意は気にならなかった。逆に刺激になったよ。Davidは最近この話に続編を作りたいと私に話してくれた。彼が望むならロシアにも行くよ!
雑誌が山積みになっている本屋の前を通った茜は友達に
『Ah ! Il y a Viggo Mortensen! Ta mère doit être contente!』(あ、ヴィゴ・モーテンセンだ!あなたのママは満足に違いないわね!)と言われたとか。
壊れてます・・・。Viggo美尻症候群(VBS)。
フランスの映画雑誌(cineがここ4年間定期購読している雑誌)STUDIOのViggo Mortensen特集を翻訳してみました。一年分辞書引いたって感じ?
おかしな表現もあるかと思いますが、どうかお許しを!ちなみにこの記事ちょ~~長いですのでスルーしていただいても構いません。
彼におけるすべてが違う。ブルーラベンダー色の彼の瞳は優しくあなたを離そうとしない。信じられないほど重みのある声は時折聞き取れないぐらいにまでになり、それは完璧なフランス語なのである。Cronenberg監督の『Eastern Promises』では髪をオールバックにしたロシアンマフィアの彼を見たばかりだったのに、フランス語を話す彼は次の彼が主演の映画『Appaloosa』のためにひげを蓄えている。いったいViggo Mortensenとは何者なんだろうか?
1985年のPeter Weirの映画『目撃者』でアーミッシュの農民の役を演じて以来この俳優はずっと人とは違う路線で進んできた。1991年にSean Pennの最初の映画『Indian Runner』でベトナム帰りの擦り傷だらけの兵士を演じて他を圧しても、仕事のオファーはついてこなかった。1998年のRidely Scottの映画『GI.ジェーン』でDemi Mooreをしごきぬく鬼軍曹を演じたときに彼はやっと脚光を浴びることになる。この頃すでに40代を迎えたViggo Mortensenのキャリアは辿るほどあるわけでもなかった。ジャズのアルバムを録音したり、形式主義的探求が目立つような写真集を内輪に発行していたり、彼の絵を展示していたので、彼のパーソナリティーは簡単に理解されるようなものでもなかった。
そして『ロード・オブ・ザ・リング』の話が舞い込んで来る。それも偶然に。Peter Jacksonは、彼がアラゴルン役に抜擢したStuart Townsendと折り合いが悪く、彼を首にして代わりの俳優を探していた。ニュージーランドにすぐに出発し18ヶ月滞在しなければならない。多くの俳優が拒みViggoも躊躇する。Tolkenの世界に入るように彼を説得したのが12歳になる彼の息子だった。しかしチャンスはキャリアを築くには十分ではない。才能も必要である。
2001年から2003年にかけて『ロード・オブ・ザ・リング』の3部作が公開になるにつれて、Viggo Mortensenはインスピレーションのある俳優として、ピーター・ジャクソンの作品に欠かせない重要な石となっていった。ミステリアスなオーラを放ち、大俳優としての位置を築くことになる。内に秘めた力強い力を隠すようなクールなそぶり、穏やかな物腰はClint Eastwoodを髣髴とさせる。彼はこの成功を機に、自らの出版社Perceval Press(自作の詩、写真、絵画等も取り扱っている)を創設した。
インタビューのときには必ず彼は裸足で現れる。アルゼンチンのマテ茶用のひょうたんを片手に、腕にはインタビュアーにプレゼントするための本を沢山抱えて。その本とは、イラクに侵攻したBush大統領を非難する内容のものである。ジャーナリストたちは、彼の虜になる。
伝説は動き出す。この伝説は もしも彼が大ヒット目的のうわっつら的映画への出演を続けて行っていたらとっくに終わっていただろうし、彼自身の伝説も終わっていただろう。彼はそのようなことは拒んだ。一本の映画をのぞいて。アラブの世界をもっと知りたいと望んだカウボーイを演じたHidalgoのことである。映画作家通の彼は(彼が愛する映画監督は、Bergmanであり、Ozuであり、Dreyerであり、Pasoliniである)は ただ栄光を手にするためになるような役柄を演じるつもりは毛頭ないのである。だからDavid Cronenbergとの出会いは大切なものであった。お互いにとって。
2005年の『A History of Violence』で、カナダ人映画監督の荒々しさ、人を殺した過去を隠した普通の男を演じた俳優の演技の鋭い演技を再度認識した。しかしながら、映画は望んでいたような賞を受けることはなかった。カンヌ映画祭を手ぶらで後にし、オスカーでもかろうじてノミネートされた。2度目のコラボレーションの映画『Easten Promises』でも 二人の男たちは暴力について驚くべき考察を続けている。ロシアのマフィアの権力ある家族に雇われているミステリアスな運転手の驚くべき彼の姿を見出すわけである。映画は戦慄を与える。彼の演技も。
―あなたは『Eastern Promises』のオファーをすぐに受けませんでしたね。なぜですか?
VM:私は契約のたびにとても慎重になるんだ。David Cronenbergとのときはさらにね。彼をがっかりさせたくなかったから。私は このロシア人の役柄を滑稽にならずに演じることが出来るかという確信をもちたかったんだ。だから私は彼に少し考える時間をもらってこの人物について掘り下げ始めた。
―何を発見しましたか?
VM:私の探求はつねに同じ質問から発するんだ。私は人物が生まれた時から観客がスクリーンにこの人物を見出すまでに何が起こったかを考える。私は、彼がどの街からやってきてどの通りで大きくなったかを知りたいと思うんだ。
―この探求には時間がかかりましたか?
VM:はい。潜水は私にとって大切なことなんだ。毎回映画を学校に通うように考えるのだ。私はロシア語を勉強した。シナリオで使われている言葉に ちょっとした表現を加えられるようにもっとロシア語を使えるようになりたかったからね。それから ニコライ出身の場所がどんなところかを見るためにロシアに行ったんだ。モスクワを隅々までくまなく見て回ったよ。街の雰囲気をつかむには地下鉄が最高の手段なんだよ。それから私はサンクトペテルスブルグに行き、それからもっと遠くのウラル山脈のエカテリンブルグに行った。ここまでがヨーロッパでそこから先はアジアになるというらしい。これらのすべてのイメージが映画の撮影中に私の脳裏に焼きついていたよ。
―あなたを運転手として使っていたロシアンマフィアの息子役のVincent Casselとはどのように仕事をしましたか?
VM:映画の中の我々の関係は少し特異だった。毎晩飲みに出かけるが、同時に彼は友達ではなくパトロンだった。私の仕事は、彼が問題を起こさずに何があっても家に帰すこと。だから我々はお互いにそれぞれが別に役作りを進めたんだ。Vincentは非常に感性の鋭い俳優だ。彼は常に研ぎ澄まされ、危険を冒すことも知っている。これは簡単なようでいて実はそうじゃないんだ。
―あなたはシナリオを膨らませるようなアイデアをもたらしましたか?
VM:David Cronenbergと私はとても気が合うんだ。『A History of Violence』で、私が探し求めるものは私が演じる人物に価値を与えることではなく、その人物像全体に興味を抱いているということだと実感した。私は彼に私が今まで書き溜めてきた詩、曲、映画、本などを送った。彼はそれらのうちのいくつかを選び 残りのは返してきた。私には彼の右腕になるような下心なんてなかった。ただそうすることが自然だと思えたから。それだけのことだ。私は監督によってはそういったものに目を向けることがとても珍しいことは知っている。
―あなたの体を覆っていた刺青のアイデアはあなただったんですよね?
VM:それは刑務所の文化にあるんだよ。これらの刺青には独特の言語が存在するんだ。ということは、体に刺青を入れるときによく注意を払わないといけないということさ!私の手には、サンクトペテルスブルグの恐るべきクレスティー刑務所を意味する十字架がある。背中には見事な大聖堂の刺青がある。屋根の一つ一つが囚人の隠語の独特な言葉なんだ。私の体には、私がロシア語で書いたフレーズもある。そのうちの一つは『大切なのは 人間のままであること。』とある。ただこれだけならいいけれど、ある国の最悪の刑務所を経験した男の体に刻まれたこの言葉は 『誇りをもちつづけること。つまり誰も尊敬しないこと。』という意味になる。
―サウナでの殴り合いのシーンはどのように準備しましたか?
VM:私は 軍隊が実際に練習していたレスリングについての本にあった写真ををロシアで見た。私は自己防御と攻撃するテクニックを学んだ。相手の俳優もそれを知っていた。一人は軍隊を経験したことのあるジョージア人でもう1人は昔トルコのボクサーだった。どっちにしろ、私たちは、スタントマンなしでこのシーンを撮影することが出来たんだ。だから誰も油断しなかったしそれが本物らしくなったんだよ。
―さらにあなたは素っ裸でしたよね?
VM:アメリカではジャーナリストたちがとてもこのことに敏感だった。ヨーロッパでも同じことにならないように願っているよ。私はこのことが観客を映画から脱線させると思わないんだ。なぜなら話の流れから言ってもこのことはとても大切なことだったからね。私を殺すためにナイフを片手に二人の男が現れたとき、タオル一枚しかなかったのだから。私は裸になるかならないかということについて疑問を持たなかった。ただDavidがこのシーンを撮影する時に自由にやってもらいたかったんだ。だからタオルなし!それ故に私はさらに傷つきやすい立場になり、観る側にショックを与えたのだろう。
―ポラー映画の再来をどのように解釈していますか?
VM:David Cronenbergは暴力をとても真面目にに捉えている。この問題についてもっとも責任のある映画監督の一人だよ。彼は観客に暴力シーンに楽しみを見出すようなことは一切しない。暴力にある価値など何も見せてないんだ。この映画にはピストルも存在しない。どの行為も至近距離から行われている。ヒーローが5万回も狙撃されてかすり傷程度で切り抜けるような映画とは程遠いんだよ。
―David Cronenbergはあなたを変えましたか?
VM:確かに。私もそれが必要だったんだよ。(彼は彼の言わんとするところを強調するかのようにフランス語に切り替えた)彼は私の友達になり、穏やかな心と勇気を与えてくれた。私はそう装っていないようでいて彼の仕事に対する真面目な姿勢が好きだ。このビジネスにおいてはとても健康的なことなんだ。David Cronenbergとの2度のコラボレーションよりもよい仕事をしたことはなかった。
―何がほかの監督と違うのでしょうか?
VM:ほかの多くの監督よりも頭がいいってことかなあ!(笑)彼は俳優と技術関係の人間とのリレーションシップやテクニカルな分野において稀に見るバランスのよさを持っているんだよ。これらの人間と仕事をするための才能を持ち合わせていて、撮影の時にはリラックスした静かな雰囲気を作り上げることを知っている。撮影現場では彼と私はほとんど話をしない。たいていは馬鹿みたいな冗談ばかり飛ばしあっているんだよ。
―あなたは『A History of Violence』がオスカーを取るべきだったといいつつもアカデミー賞に出席することを拒みました。それは矛盾していませんか?
VM:私は彼のキャリアからしてDavidのためにがっかりしてしまったんだよ。ほかの多くの20年、30年のキャリアの映画監督とは反対に、彼はその場にとどまらず繰り返すこともしない。彼は映画を撮るごとにさらに進歩していると思っている。
―あなたにとって『ロード・オブ・ザ・」リング』から何が変わりましたか?
VM:『ロード・オブ・ザ・リング』の多くの俳優たちはこの映画の成功のおかげで弾みをつけた。しかし何がしたいのかをきちんと知らなくてはいけないんだ。時々我々の唯一の自由は「No」ということなんだよ。オファーされてもいないプロジェクトを受け入れることもできないしね。だから私は常に同じ基準の上で決断する。何かを学ぶことができる話を受ける。ほかの人たちが違った進め方をしているのは知っているよ。もっと有名になれるように、もっとお金を稼ぐために成功を求める人たちのことだ。彼らはそれが長続きしないことを知っているからね。
―映画の製作を考えていますか?
VM:数年前から温めているアイデアがあるんだ。でも私は写真も音楽もとにかくやることが多くて 今のところちょっと不可能のように思っている。
―これらの活動は映画にとってどのような重要性がありますか?
VM:私は何も考えずにどれも平行し進めているんだ。私の仕事は、思いがけないところに旅をさせてくれる。どこかに座っているときに、私は自分の周りにあるものとか 光などを見ずにはいられない。観察するのが好きなんだ。それは私の意識を目覚めた状態にする手段なんだ。映画のために写真をやめるとかその反対も考えられない。私にとってすべては繋がっているんだ。映画は詩や絵画を呼ぶ。最近、Vincent Amorim監督のナチスの到来に関する映画の『Good』では、私は逃避が音楽にあった教師の役を演じた。私も頭の中でマーラーの曲を常に聴きはじめたんだ。ピアノを弾きたくなった。毎晩撮影が終わると次の日の撮影シーンのインスピレーションを持てるように、少しでもピアノを弾いた。毎回私のイマジネーションは違ったものになった。帰宅すると それを残しておきたくて自分が作曲したものを録音したんだ!(www.percevalpress.comで聴けます)
―あなたの多面的才能はアメリカではどのように評価されているのでしょうか?
VM:ハリウッドのシステムは2つの要素から成り立っているんだ。基本的な基準の上に成り立っている。どのぐらい有名ですか?どのぐらい受賞しましたか?と同時にこの国をステレオタイプでがんじがらめにしていることに怒りを感じている。どこにでもオープンな人間はいるというのに。
―あなたのプロジェクトは?
VM:数日後に『A History of Violence」の共演者だったEd Harrisに合流するためにニューメキシコに行くことになっている。彼は2本目の映画を製作するんだ。私は彼の1本目の映画「Pollock」がとても好きだった。2本目の映画はウェスタン映画の『Appaloosa』。この映画で唯一勉強しなくてもすむのは馬に乗ることだけだ!『Eastern Promises』のプロモーションがあるからあまり準備の時間がないことがとても残念なんだ。
《デヴィッド・クローネンバーグ監督の言葉》
役者とは体である。肉体は役者の道具である。映画監督が俳優をカメラで捉える時にフィルムに記録するものは抽象的なものではなく、筋肉や輪郭といった生きた物体である。私の映画の中で サウナでニコライが殺し屋と激しく戦うシーンのような際立った残忍さが説明している。私はどこまでも無神論者であり、輪廻などは信じていない。肉体が傷つけられるとき、それは私にとって完璧な破壊となる。私の映画を観る人たちにその痛みを強烈に感じてほしい。
初めてViggoを観たとき、まず私の目に留まったのはその体だった。それは1985年の『目撃者』のとき。それ以来私が彼をスクリーンで見るにつれて 彼のことは常に頭の中にあった。私は彼の一見優しそうでいてかなり挑発的な声や彼の知性、ユーモアが好きだ。またそれ以外にもとても気が合うんだ。映画の撮影はとても楽しかった。彼は没頭する人間だ。毎回驚くような探求をし、たとえば刺青のようなアイデアをくれたりもする。
彼のうちにある演技はJack Nicholsonのような外向的な俳優、名優と多くの人たちからみなされている俳優とは対極をなしている。Viggoは自分の感情をぎりぎりまで押しとどめる。際立った俳優なんてもんじゃないんだ。私はむしろ『ロード・オブ・ザ・リング』で多くの人から認められたという彼の経歴を皮肉に思っているよ。この役は恐らく彼が演じた役のなかで一番とらえ難くないものだからね。我々が最初にであったのはカンヌだった。Peter Jacksonの3部作の一つを公開したときだ。映画一色で塗られたお城の中で、周りにホビッツが沢山いたよ(笑)。数ヵ月後の『A History of Violence』の準備のときにロサンゼルスで本当にお互いをよく知るようになり、共通点を発見した。どうも我々は似ているらしいよ。多分本当のことなのかもしれないなあ。
《Vincent CasselからみたViggo Mortensen》
私は思春期のころにDavid Cronenberg監督の世界を知った。『Scanners』や『Videodrome』のような映画を観て。それ以来彼の映画は全部観てきた。しかし『Eastern Promises』で悪役を演じるのに乗り気でもなかったし、特にアクセントのある言葉で演じるのは好きじゃないんだ。でもGasper NoeとJan Kounenがもしもこのオファーを断ったらもう一緒に仕事をしないって脅迫したんだ(笑)。撮影については、私は2人のコーチについた。1人はロシア語、もう1人は英語のコーチ。Viggoは撮影の一週間前にロシアに旅に出るチャンスがあったけれど、私もできれば一緒に彼と行動したかった。我々の共同作業を準備するために、撮影前に1,2回会ったよ。我々の役柄は兄弟でもあり敵でもあった。この二人の間には力関係が存在している。ニコライは私のおもちゃであるのに、このおもちゃは私をコントロールする。この関係の曖昧な点なんだ。我々の本当の関係は、とてもシンプルなものだった。Viggoは寛大でよくプレゼントをしてくれたよ。多分、彼が育ったときに受けた教育や今までしてきた数多くの旅などから来るんだろうな。誰かがカメラの前で演技をしているときに自分が撮影じゃなくてもカメラの近くにいてアドバイスをくれる。彼と私は、エネルギーの発散方法がかなり違う。彼は常に穏やかでとても静かに話す。私はどちらかというと荒々しいほう。彼との付き合いでいろいろと学んだよ。Davidと彼の間で出来上がっていた暗黙の同意は気にならなかった。逆に刺激になったよ。Davidは最近この話に続編を作りたいと私に話してくれた。彼が望むならロシアにも行くよ!
by cinephile
| 2007-11-11 21:17
| Viggo3どぅわいすき