2005年 11月 08日
傷跡 |
フランス全土に火の粉が散っている"暴動"が、世界でトップニュースになっているようで、何人の方から心配のメールをいただいたか・・・。ニュースを見るたびに事態が悪化しているよう。火の粉は、フランス国外へまでと飛んでいるようで・・・被害にあっている何の関係もない方たちのことを思うと、怒りの気持ちでいっぱいです。
この連鎖反応、人々がメディアに扇動されているような気がしないでもないのですが・・・。
理由が何であれ、暴力に訴えることは絶対に許せません。何の解決方法も見出せるわけないのだから。
結構前に見た映画『La maison de Nina』。『他人の趣味』で絶賛された女性監督のアニエス・ジャウイが主役。
話の内容は、戦争孤児を引き受けていたNinaのところへ、戦後すぐに収容所から生還したユダヤ人の子供たちがやってくる話なので、内容は当然暗いし、blogに載せるのはやめようかと思ったけれど、あえて・・・。
ヨーロッパに住んでいると、何らかの話のついでに 「あのひとはユダヤ人だから・・・」などという表現を耳にすることがあります。その言葉の裏に、なにか読み取れるような雰囲気がいつも漂うのは、日本人の私にとってはとても居心地の悪い悲しい瞬間。イタリア人、スペイン人などという表現とちょっと違う意味がある気がしてならないのです。
それを良いとか悪いとかいえるような立場でもなくて、長くいても理解できないことの一つになっていることなのだけれど。
写真は、公立の高校・中学・小学校の建物の入り口に張られているプレート。
『ナチスとヴィシー政権の残虐行為により、ユダヤ人として生まれたからという理由で1942年から1944年の間に何の罪もないのに犠牲者となり、強制収容所に送られたこの学校の生徒たちを偲んで。彼らは 死の収容所で殺されました。100人のユダヤ人の子供が16区に住んでいました。彼らを忘れてはなりません。 2003年4月25日』
とあります。今のパリ市長が、こういうプレートを学校に取り付けることを決めたそうです。
パリ市長の今のやり方にいろいろと"住民として"問題を感じないわけではないけれど、こんなこともしているのね、とちょっと見直したエピソードです。
ちなみにパリのシテ島のノートルダム寺院の裏手には 収容所に連れて行かれたユダヤ人の記念碑がありますし、収容されたユダヤ人がいたという牢屋のようなところも残されています。私の"3番目のママ"と呼んでいるマダムのイレ-ヌにいつか連れて行ってもらったときに、全身に鳥肌が立つような衝撃を受けたことは忘れられません。・・・・・戦争の傷跡。
今日は とってもまじめな話になりましたが、観光ガイドに乗っていないParisの顔です。
この連鎖反応、人々がメディアに扇動されているような気がしないでもないのですが・・・。
理由が何であれ、暴力に訴えることは絶対に許せません。何の解決方法も見出せるわけないのだから。
結構前に見た映画『La maison de Nina』。『他人の趣味』で絶賛された女性監督のアニエス・ジャウイが主役。
話の内容は、戦争孤児を引き受けていたNinaのところへ、戦後すぐに収容所から生還したユダヤ人の子供たちがやってくる話なので、内容は当然暗いし、blogに載せるのはやめようかと思ったけれど、あえて・・・。
ヨーロッパに住んでいると、何らかの話のついでに 「あのひとはユダヤ人だから・・・」などという表現を耳にすることがあります。その言葉の裏に、なにか読み取れるような雰囲気がいつも漂うのは、日本人の私にとってはとても居心地の悪い悲しい瞬間。イタリア人、スペイン人などという表現とちょっと違う意味がある気がしてならないのです。
それを良いとか悪いとかいえるような立場でもなくて、長くいても理解できないことの一つになっていることなのだけれど。
写真は、公立の高校・中学・小学校の建物の入り口に張られているプレート。
『ナチスとヴィシー政権の残虐行為により、ユダヤ人として生まれたからという理由で1942年から1944年の間に何の罪もないのに犠牲者となり、強制収容所に送られたこの学校の生徒たちを偲んで。彼らは 死の収容所で殺されました。100人のユダヤ人の子供が16区に住んでいました。彼らを忘れてはなりません。 2003年4月25日』
とあります。今のパリ市長が、こういうプレートを学校に取り付けることを決めたそうです。
パリ市長の今のやり方にいろいろと"住民として"問題を感じないわけではないけれど、こんなこともしているのね、とちょっと見直したエピソードです。
ちなみにパリのシテ島のノートルダム寺院の裏手には 収容所に連れて行かれたユダヤ人の記念碑がありますし、収容されたユダヤ人がいたという牢屋のようなところも残されています。私の"3番目のママ"と呼んでいるマダムのイレ-ヌにいつか連れて行ってもらったときに、全身に鳥肌が立つような衝撃を受けたことは忘れられません。・・・・・戦争の傷跡。
今日は とってもまじめな話になりましたが、観光ガイドに乗っていないParisの顔です。
by cinephile
| 2005-11-08 04:08
| Paris